チープ・トリックについて

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Cheap Trick

チープ・トリック (1977年デビュー)
genre: pop/rock

写真は、左からロビン・ザンダー(vo)、トム・ピーターソン(b)、バニー・カルロス(dr)、リック・ニールセン(g, リーダー)。チープトリックのアルバムには、2ndの「In Color」、3rdの「Heaven's Tonight」、ライブの「At Budokan」、11th「Lap of Luxury」のように、表ジャケにハンサム2人を載せて、で、裏ジャケにファニーフェイス2人を載せて落とすという王道パターンがあった。

【概観】

ハンサムで王子様タイプのボーカリストとベーシストを一方に、つるっぱげ野球帽のジョーカー的ギタリストと小太り丸めがねの銀行員風ドラマーを他方に、分かりやすいキャラと分かりやすい楽曲で70年代を風靡したパワー・ポップ・バンド、それがチープ・トリックです。下は全盛期のプロモビデオ。

It's The Way Of The World (PV)@YouTube

チープ・トリックの30年に渡るキャリアを見て思うのは、パワー・ポップというジャンルの難しさです。パワー・ポップというのは、シンプル、ポップ、そしてギターのパワーコードでがつんと聴かせる、甘酸っぱいきらめきが身上の音楽スタイルでありますが、シンプルなだけに、甘酸っぱい名曲になるかどうかは、ほんのちょっとしたさじ加減で決まるわけです。そして、その「さじ加減」というのが実に微妙なので、たとえ「さじ加減」を会得した者でも、一度それを見失うとなかなか戻って来れない。

チープ・トリックのキャリアも、そういった「難しさ」を体現しています。ビートルズ的メロディを明快でわかりやすいハードロックギターに載せて世に出たチープ・トリックは、70年代は何をやっても楽曲は甘酸っぱく響き、サマになっていました。少々「これはちょっとビートルズというか、ELOっぽ過ぎない?」という場合も(「How Are You」とか)、若さと勢いで押し通していました。

しかし、そんなチープ・トリックも80年代で躓きます。しかもその原因が今いち不明なのです。確かにベーシストのトム・ピーターソンが抜けてしまうという痛手がありはしましたが、ピーターソンの脱退前の作品「All Shook Up」で既に低迷の予兆がはっきり現れていましたから、ベースが脱退したから駄目になったというわけでもないと思います。

ただ単に、なぜだかわからないけれども、歯車に狂いが生じてしまったということです。おそろしいですね、流れというものは。

その後チープ・トリックは、ロイ・トーマス・ベイカー、トッド・ラングレン、ジャック・ダグラス、テッド・テンプルマンなど、有名プロデューサーとアルバムを制作しましたが、突然訪れたこのスランプから脱出できない。むしろ、焦れば焦るほどセールスは落ちていく。そこそこポップで良い曲を書いているのに、何かが足りない。あと一歩、何かが欠けている。それが何なのか、どうやったらそれを取り戻せるのか、誰にもわからないわけです。

しかし、チープ・トリックは死にませんでした。曲が書けないなら書かなくてもいいじゃないか。ということで、1990年代後半〜2000年代のチープ・トリックは無理にスタジオアルバムを制作せず、初心に戻って、ライブ中心の音楽活動にシフトしました。ライブでは過去のヒット曲が中心になりましたが、彼らの楽曲はエバーグリーン。ジェリーフィッシュマシュー・スウィート、ウィーザーからグリーン・デイまで、90年以降のパワー・ポップのパイオニアがチープ・トリックなわけで、今聴いても決して古くない。スタジオアルバムのセールスはなかなか回復しないけれども、ライブはいつもソールドアウト。ライブアルバムも2枚(「Music For Hangovers」「Silver」)出し、評論家からもファンからも高く評価されました。

そんななか、充電しつつ、2003年に「Special One」、2006年に「Rockford」と、久々に評判の良いスタジオアルバムを発表しました。セールスはまだまだだし、内容もオレはまだ完全復活にはいたってないと思うのですが、不振だった80年代、90年代を考えるとずいぶんと吹っ切れて元気になりました。

今後に期待したいです。まだまだいけるぜ、チープ・トリック!

【活動】

  • 70年代前半にリック・ニールセン(g)とトム・ピーターソン(b)を中心にイリノイ州ロックフォードにて結成。74年ごろ、現在のメンバー(ニールセン、ピーターソン、ロビン・ザンダー、バーニー・カルロス)が揃う。ツアーをやりつつ、ファーストアルバムを録音。
  • 1977年、エピックより「Cheap Trick」でデビュー。同年、2nd「In Color」、翌年に3rd「Heaven Tonight」を発表するが、小ヒットにとどまる。
  • ところが、当時力を持っていた「ミュージック・ライフ」などの洋楽雑誌のおかげもあってチープ・トリックの人気は日本でとんでもないことになっていた。クィーンもそうだったが、当時は日本で人気の火がついてそれが本国に飛び火することがあった。チープ・トリックも、初来日公演でいきなり武道館を満員にし、メンバーも驚愕。
  • 1978年、日本へのファン向けにライブ盤「At Budokan」を発表。ところが、これがアメリカ本国で話題になり、輸入盤がチャートを昇り始める。驚いたレコード会社があわてて「At Budokan」をアメリカで発売、これが大ヒット、シングルカットされた「I Want You To Want Me」は日本の女子ファンの大合唱(おそらくバンドもびっくりしただろうと思われる)がフィーチャーされており、ビルボードで7位まで昇りつめ、チープ・トリックはアメリカでも一躍大スターに。
  • 1979年の4thアルバム「Dream Police」で躍進を続ける。
  • ところが、1980年の5thアルバム「All Shook Up」は低調な出来で思ったようにヒットせず。バンド内でも不和が生じており、トム・ピーターソン(b)が脱退。
  • 新ベーシスト、ジョン・ブラントを迎えて4枚のアルバムを発表するが、どんどん下降線をたどる。
  • 1987年、トム・ピーターソン(b)が復帰。
  • 1988年、8年ぶりにオリジナル・メンバーで11thアルバム「Lap of Luxury」を発表。ファーストシングル「The Flame」(邦題「永遠の愛の炎」)はチープ・トリック初の全米ナンバーワンとなり、続く「Don't Be Cruel」も4位まで昇る。一見チープ・トリックの復活のように見えたが、前者は他人が提供した曲、後者はプレスリーのカバーで、チープ・トリックはまだリハビリ状態だった。
  • 1990年の12thアルバム「Busted」がこけ、前作でナンバーワンヒットを出したのに残酷にもエピックを首に。
  • 1994年には、ワーナーから13th「Woke Up With A Monster」を発表するが、これも不発で、たった一枚でワーナーから切られる。
  • 以降、自主レーベルを立ち上げ、インディーで活動。1997年の14thスタジオアルバム「Cheap Trick」は不発だったが、1999年の「Music for Hangovers」、2001年の「Silver」と、ライブアルバムを立て続けに発表、評論家にもファンにも支持される。
  • 2003年の「Special One」で7年ぶりにスタジオアルバム制作に復帰。

(3/15/2007)