テイ・トウワについて

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Towa Tei

genre: club/house/techno/lounge/d&b/jp

【概観】


日本のミュージシャンのアメリカや欧州における成功は、実はクラブ音楽の世界ではかなりあります。富家哲、福富幸宏屋敷豪太ケン・イシイ、ゴー・ホトダなど、ジャンルは少しずつ違えども、いずれも裏方、または表舞台で成功した人達です。歌という言葉の壁がないぶん、センスのみで勝負できるのが一つの要因でしょう。もちろん、クラブ音楽の匿名性もプラスになっています。また、東京という街はハイテク、情報という面で世界のあらゆる都市をある意味凌駕していてそれがある意味独特のクラブ文化を生んでいるということもできます。それはクラブ音楽の世界でも認知されている事実です。もちろん、「アニメ」「マンガ」といったキッチュな文化も、カウンターカルチャーのるつぼとしての東京のイメエジを増幅することになっています。

で、その「キッチュでハイテク」な東京から飛び出したクラブ音楽家の中でもっとも成功している人物のひとりが、このテイ・トウワであることは言うまでもないでしょう。彼がメンバーであったユニット、ディー・ライトの「グルーブ・イン・ザ・ハート」は、世界のクラブ・チャートだけでなくポップ・チャートでも大ヒットし、アメリカでもビルボードのポップ・チャートで4位まで昇りつめました(イギリスで1位)。坂本九以外でアメリカのポップ・チャートに昇りつめた日本育ちのミュージシャンはテイ・トウワぐらいではないでしょうか。

テイ・トウワは国籍は韓国でありますが、東京生まれ東京育ちの東京っ子であり、東京という場所で育まれたミュージシャン/DJだということができるでしょう。彼自身、東京という場所にこだわった活動をしていると言っていたことがあったと記憶しています(現在は郊外ぐらしらしいが)。実際、彼のラウンジ的でキッチュな感性と音楽性はNYにはないもので、ディー・ライトの登場以来、彼のセンスは「トーキョー的」なものとしてアメリカ人に知れたと思います。ドゥミトリ・フロム・パリスがラウンジーなクラブ音楽でパリからアメリカでデビューしたときも、MixmagUSA誌では「この手ならもうテイ・トウワがいる(から新しくはない)」と評されたりしたものです。

実際、テイの感性は東京的であると思います。オタク的で、サンプリングのネタも普通のフロア志向のクラブ音楽では使われないものが多い(その点、かつてテイがATCQなどと親交があったのは理解できます)。ラウンジーであり、流行の先端に敏感であり、音も緻密。このあたりの「東京的イメエジ」は、のちのピチカート5のアメリカでの成功の道を切り開いたともいえましょう。なぜなら、「ラウンジーでオタクでキッチュでオシャレ」というのはまさにピチカートの特徴でもあるからです。ピチカートの音はテイの音ほど新しくも個性的でもないけれども(むしろ古いとさえ思うこともある)、アメリカ人の耳では、この「東京印」は新鮮に受け止められたのは確かです。ピチカートの場合は「オタク&ハイテク」という東京のイメエジを、アニメ絵のジャケットなどで意図的に強調して成功したのですが、それが抵抗なく受けたのもテイをはじめとする「東京的」音楽家の成功があったからではないでしょうか。

話がそれてしまった。テイの魅力はなんといっても的確な時代感覚と、(これを言われると本人は嫌がるらしいが)グラフィック・デザイナー的な音像の感性でしょう。時代感覚についていえば、テイは必ずしもシーンをリードするタイプではありません。どちらかといえば、シーンの最先端を鋭く読み取り、取り入れる方です。ただ、芯となる「テイ・トウワの個性」がはっきり確立しているので、花から花へ舞う蝶のようにいろんな流れを取り入れても散漫な印象にならないのがすごい。グラフィック・デザイナー的感性のことを言えば、彼はもともとグラフィック・デザイナーであったのですが、そのせいか、彼の音自体にも「音をデザインする」というような感覚が感じられます。ミュージシャンというのは、クラブ系リミキサーを含め、選ぶ音が偶発的に生み出す効果というものを重視するものですが、テイの場合は隅から隅まで計算されつくされている感じがする。それでいてツクリモノの退屈さがないのが彼のすごいところです。決して彼の音は作り込んだものではありません。むしろ音数は少ない。しかし、選ぶ音ひとつひとつにいちいちセンスやら冴えやらを感じ、しかもそれらがすべて意図されたものであるように思えるのです。

【活動】


テイは東京の美大生時代(武蔵野美術短期大学)に坂本龍一のFM番組に自作のテープを送りそれが認められて交流が始まったらしい(たしか)。その後、1987年にNYの美大に留学。90年にディーライトの一員としてデビュー、成功。

しかし、フツーあんだけ成功したらその路線にしがみつこうとするもんだと思うのですが、テイはいたってマイペースで、セカンド・アルバムがでたあたりでは「ぼくはツアーには興味ないですから」とツアーに参加しなかったり(ディーライトはたった3人のメンバーしかいないのに)、当時えらい淡白なひとだなぁと思った記憶があります。一方で坂本龍一の作品にかかわったり、「グラフィック・デザイナー兼音楽家」の草分け、立花ハジメのアルバムを共同で制作したりします。アート・リンゼイなんかと交流をもったのも坂本つながりかな。

ディーライトがサードアルバムを出す前にテイは離脱、同時期にソロ活動を開始。現在にいたる。(ちょっと手抜き?)

(初稿 10/3/00; 最終改訂 5/20/02)