マーヴィン・ゲイについて(解説Top)

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Marvin Gaye

マーヴィン・ゲイ (4/2/1939-4/1/1984)
genre: soul/r&b


【はじめに】


ぼくがはじめてマーヴィン・ゲイのアルバム「What's Going On」を聴いたとき、音楽が達成しうる表現の豊かさ、そして深さというものに、ぼくはただ茫然とするばかりでした。それ以来、マーヴィン・ゲイはぼくにとって特別な存在です。少し長くなりますが、マーヴィン・ゲイの人となり、そして音楽について拙いながらも概観してみたいと思います。

【スターダム、イノセンス


マーヴィン・ゲイは「完璧なまでに最高な音楽家」ではないと思うんですよね。非常に優れたシンガーではあったが、彼より力量が上の黒人シンガーを歴史上に探すのは難しくありません。アーティストしても、その時その時の精神状況が素直に作品に反映されるので、ムラがありました。しかし彼の音楽はそういうレベルを超越したガラスのような美しさをたたえており、一人の男の喜び、悲しみや苦悩に満ちているのです。

マーヴィン・ゲイは非常に繊細で、無邪気でバカ正直で、そしてある意味、不器用なアーティストでありました。カリズマ的な魅力とエンタテインメント力をもち、常にスターダムに君臨する一方で、特に70年代以降の彼の音楽は私的な告白に終始したともいえます。ショービズのトップでに生きる一方で、エンタテイメントの枠をはずれた告白的音楽をつくってしまう。その、一種あやうさがマーヴィン・ゲイの魅力なんですよね。そういった方向を、計算ではなく、「どうしてもこうなってしまうんだ」と言う感じがするのがマーヴィン・ゲイの不器用さであり、イノセンスであると思います。

たとえば、彼の全盛期のライブアルバム「Marvin Gaye Live」(1974)では、女性の客のすさまじいまでの黄色い歓声と、その中でオーラを発するスターの姿をかいま見ることができますが、しかし、このスターは、コンサート最大の盛り上がりの場で、やおら「これはぼくのもっとも大切なひとにささげる」と言って、「Janis is my girl...」と実名でガールフレンドに捧げる歌を歌い出すのです。会場がシーンと盛り下がるのも意に介さないように。ほんとうのスターなら、公私の別を考え、観客の前では観客が恋人のような態度をつらぬくでしょう。しかし、無邪気なマーヴィンにはそんなことは考えもよらなかった。今の恋人(しかも不倫)を心から愛している。だからそれを歌にする。そしてそれを発表する。それ以上のことは考えていないのです。

きわめて個人的な感情の吐露としての音楽活動、そしてその逆に虚構がうずまくショービズでナンバー・ワン・スターとしての地位を手に入れてしまう天性のスター性、その相反する両極のあいだで、マーヴィンはつねにあやういギリギリのラインの上を歩いていました。

【アンナ、ジャニス】


そして、70年代終わりにはそのバランスがついに崩れ、モータウンと離別することになります。恋人ジャニス(当時ティーネイジャー)に愛をささやく一方で、マーヴィンには60年代から連れ添っている年上の妻アンナがいました。しかも、アンナは、モータウンの創始者であり首領であったベリー・ゴーディの妹でした。無邪気なマーヴィンとすれば、「終わった愛を精算して新しい愛に行きよう」くらいのつもりだったかもしれません、最初は。しかし、モータウンのドル箱アーティストとしての立場、妻がそのモータウンの社長の妹であるという事実、離婚の手続きの進行におかまいなく勝手にアンナへの別れを歌にして発表してしまう計算のなさ、あげくのはてにジャニスとの間に子供までもうけてしまうという事態‥これらの要因がからみあって、離婚手続きはこじれにこじれてしまいます(当たり前だ)。マーヴィン自身のアルコールやドラッグへの依存も手伝い、もともとスター性の裏に鬱気味の内向性をもっていたマーヴィンは精神的においこまれていきます。

音楽的にいえば、1973年の「Let's Get It On」が、ジャニスとの新しい愛にめざめたマーヴィンの躁的なアルバム、それが1976年の「I Want You」になると一転して鬱的な内容に暗転。そして、莫大な慰謝料とともに離婚が成立したあとの、1978年の「Here My Dear」ではフラストレーションが爆発。発売当時「離婚伝説」というすさまじい邦題がついたこの2枚組LPは、アンナとの私生活を赤裸々に暴いた衝撃的な内容で、ジャケットには「愛」「憎しみ」「結婚」「離婚」などという文字が刻まれ、裏ジャケットには「ゲーム盤」ごしに「女の手」に「札束」を渡す「男の手」というわかりやすすぎる暗喩的グラフィック、曲名には「いつ君はぼくを愛するのをやめてしまったのか?いつぼくは君を愛することをやめてしまったのか?("When Did You Stop Loving Me, When Did I Stop Loving You")」、「別れてもいいけどお金がかかるわよ("You Can Leave, But It's Going To Cost You")」などという露骨さでした。

当然というべきか、マーヴィンはモータウンを追われる結末となります。(というか、あのアルバムの発売が許されたこと自体奇跡かもしれない‥)

【セクシャル・ヒーリング】


モータウンを追われたもののマーヴィンには新しい愛の生活があった‥となればよいのですが、離婚成立後すぐにジャニスとも破局。ほとんど自業自得といえ、公私ともにすべてを失ったマーヴィンは、トラブルから身をひくために引退気味にヨーロッパに飛び、ベルギーにしばらく身をひそめることになります。

しかし、ここでマーヴィンのキャリアは終わりになりません。この時期にマーヴィンはギタリストのゴードン・バンクスと出会い、彼とともに自主制作した音源は1982年、CBSの目にとまり、そこからのシングル「セクシャル・ヒーリング」は大ヒット、カムバックをグラミー賞で飾ることになります。私生活に相当問題のあったマーヴィン・ゲイですが、ショービズの女神には決して見捨てられることのなかったといえます。私生活がボロボロだったとはいえ、音楽家としてのマーヴィン・ゲイの作品にはどこか、天性の才能が生み出す優雅さがあるんですよね。貧乏くささや必死さというのがない。苦悶は感じられるけど、その苦悶は自分の精神的葛藤であって、音楽をつくりだす上での苦悶ではないんですよね。どういう精神状態であっても音楽は自然にマーヴィン・ゲイから流れ出てくる。その優雅さゆえ、決して成功の女神から見捨てられることがなかったんだと思います。

【性、聖、そして死】


さて、スターとしての立場とプライベートな自分、その両極のあやういバランスのうえに立ち、一度は落ちてしまったマーヴィン。その後また成功にめぐまれたマーヴィン。復活後は逆境をバネに順風満帆だったかというと、しかし、残念ながらそうではありませんでした。マーヴィンは常に自分の内部に対立した面をかかえていて、それが復帰後に解消することはなかったばかりか、悪化するばかりでした。

マーヴィンにはおさえきれない性への欲求/衝動があり、それは、彼の70年代以降の曲にあからさまな性(あるいは性交)の歌にあふれていることからもうかがえます。実際マーヴィンはマッチョ志向であり、ステージでもたびたびストリップをしていたそうです(現在の黒人歌手には珍しくないことだけど‥)。しかし、牧師の息子だったマーヴィンは、そういった性への欲動について、苦悩をもっていたふしがあります。そのきわめて個人的な苦悩は、マーヴィンの作品に壊れそうな美しい影をおとしているといえます。実際に、マーヴィンが性を歌っても、ある種の神聖ささえ感じることがあります。性と聖が実は表裏一体であるということにきわめて自覚的なアーティストといえば、たとえばプリンスがあたまに浮かびますが、マーヴィンは、自らの音楽によってその真理を表現していたにも関わらず、ついにそれを自覚することはありませんでした。

その「両極のはざまでの苦悩」の象徴として言及されるべきは、マーヴィンの父、マーヴィンSrの存在です。マーヴィンの父親は聖職者であり、マーヴィンのドラッグや性に対する罪意識は父の存在によって植え付けられたと言っても過言では亡いと思うのですが、しかし、実際にはその父マーヴィンSrは同時に母を虐待する暴君であり、また、女装や同性愛的嗜好をもっていたこともつたえられています。マーヴィン(Jr)はそんな父マーヴィンSrに対していかに複雑な感情をいだいており、実際、ふたりはしばしば口論をしていたそうです。そこには、母をかばい、一方ではアーティスティックに美の領域に達する「聖」「善」としてのマーヴィンJrと、母を虐待し、逸脱した性嗜好をしめす「性」「悪」としてのマーヴィンSrの対立があり、同時にその一方では、セックスへの欲動を露骨に表現しアルコールやドラッグに傾倒する「性」「悪」としてのマーヴィンJrと、牧師として「聖」を代表するマーヴィンSrとの、逆転した対立も同時にあったと言えるでしょう。

二人の「マーヴィン」の対立は、マーヴィン(Jr)がグラミー賞をもって返り咲き、ベルギーからアメリカに戻っても好転するどころか悪化する一方でありました。ある日のこと、父の家庭内暴力の問題などで再び激論をはじめたマーヴィンと父でしたが、議論が高じてついにマーヴィンは父になぐりかかりました。なぐられるままだった父は黙って立ち上がり、部屋を出ていきます。しばらくして部屋に戻ってきた父の手には、実弾のこもった拳銃が握られていました。

1984年の4月1日、マーヴィンJrは実父マーヴィンSrの手によって射殺されるという悲劇的かつ象徴的な形で、45年ちょうどの生涯を終えました。

【Disc Reviews】


もちろんマーヴィンは精神性のみで語られるアーティストではありません。詳しくはアルバム感想の方をごらんください。

(初稿 11/5/96、最終修正 4/11/02)