Into The Sun ★★★

Into the Sun

Sean Lennon / Into The Sun

::★★★::1998::Grand Royal::pop::rock::
iTS US / iTS JP(→iTSについて

最初の曲が流れ出した瞬間、「うわぁ、なんちゅうシロートっぽい演奏と曲と歌!」とたじろいでしまった、ショーン君のデビュー・アルバム。その「シロートっぽい」という印象はアルバム最後まで聴いても変わらない。別にとんでもなくボロボロということはないんだけど、演奏や歌など、端々がアマチュアっぽい。悪くいえばヒドい内容のアルバム。‥というだけでフツーは終わりなんだけど、それで終わらせてくれないのは、これが「レノン」のアルバムだから。いや、これが「七光り」アルバムであると言いたいわけじゃないんです。また、確かに声は似ているけど、ジョン・レノンに似ていて居心地がいいような悪いような‥ということもない。そうじゃなくて‥なんといえばいいのかなぁ‥「ジョンの影が感じられる」んじゃなくて、「ジョンが子供になって再生した」というようなことを感じさせるのです。

もちろん、音楽的資質、才能、バックグラウンドなど、ジョンとショーンはかなり違う。ジョンがワーキング・クラスの出で、ユーモア精神とハングリー精神とあふれんばかりの才能と自信をもってパワフルにシャウトしつつデビューしたのと違い、ショーンは大金持の家に生まれ、何にも不自由せず育ち、世間をひっくりかえしてやろうなんて野望も野心もなく、好きな音楽を趣味で奏で、好きな絵を描いたりしてきた(今回のアルバムのジャケもショーンの絵)。だから、ワイルドだったジョンのデビュー時と違い、ショーンのデビュー作はいたって穏やか、決してシャウトもせず、線の細い声で淡々とメロディをつづるだけ。AMGの評でも「はっきりしているのは、このアルバムはハングリーなミュージシャンによる作品でないということだ」というような言葉が真っ先にでてくるくらいです。ある意味浮き世離れしているし自己完結しているとも言える。このアルバムがデモっぽいのはシロートっぽいということに加えて、「この人は本当に人に音楽を聴かせたいのだろうか?」あるいは「この人は本当に成功したいとか思っているのだろうか?」と思わせる部分があるからなんですよね。

でも、実はこういう「浮き世離れ」した資質って、ジョンの中にもあったと思う。なんというか、ショーンのこのアルバムを聴いてると、ジョンが持っていた「イノセンス」が新しい形で再生しているように感じるのです。それがこのアルバムをただの「アマチュア・デモ作品」で切り捨てるにはおしい作品にしている気がします。なんだか色々へりくつこねてますが、不思議な感触があるアルバムなんですよねぇ‥。

ちなみに、音楽的には、オルタナ/グランジっぽい曲からスタートして、ボサっぽいリズムの渋谷系の曲(ってNYだろ)、ラテン・ジャズ、などなど、いろんな要素が垣間見れます‥が、まあ、はっきり言って散漫です。「完成度」という点では無に等しい、かといって実験的というほどでもない、きわめて中途半端な出来。でも、「無垢さ」に心なごんでしまう曲がいくつかあります。このアルバムは後半になってようやく本調子になりますね。ビートルズそっくりでまるでジョンを聴いているかのような錯覚におちいるtr8「Queue」、ナイス・メロディのtr9「Two Fine Lovers」、なんかボブ・ディランを思い出してしまうtr10「Part One Of The Cowboy Trilogy」と来て、弾き語りの短いtr11「Wasted」。この曲がけっこう涙もの。ジョンの「イノセンス」をここに感じることができます。で、歌詞がナンセンスなのも、らしい。平凡なtr12はとばして、ラストのtr13「Sean's Theme」がまた良いです。バックがジャズっぽい静かな曲ですが、これといい、前述の「Wasted」といいtr7「Photosynthesis」といい、ジャズの要素のある曲はどれもとてもいい。

ショーン君はコロンビア大学を速攻で中退し、絵を描くかたわら、母の音楽活動をサポートし、インディー音楽シーンにかかわる中でチボ・マットやビースティーのアダムと出会い、チボ・マットのツアー・ベーシストをしたりして、たまたま録ったデモをアダムが気に入り、レコーディングをすすめてこのアルバムができたそうです。ビースティーのグランド・ロイヤルから出ているのはそのせい。また、本作のプロデューサーでもあるチボ・マットのホンダ・ユカとはつきあっているそうな(今も?)。 (3/8/03)

[追記12/29/06]iTS US / iTS JPともにCleanバージョン。このアルバム、Explicitな表現あったか?