実家からレコードを引き取ってきた

邪魔だからいい加減引き取ってくれと言うリクエストのもと、実家からレコードを引き上げてきました。

LPとCDの変わり目というのは、一般レベルでは、80年代後半に起こったと思うんですが、オレはそのとき、ちょうど高校の終わり・浪人時代〜大学1、2年ぐらいだったので、思春期の音楽は主にLPだったわけですね。捨てるのも忍びないということで引き取ってきたんですが、正直、わりとどうでもいいようなLPばかりであります。てゆうか、今時、よっぽど特別なものでなければLPで価値の高いものなんてないですからね。有名なアーティストやカルト的人気のアーティストのたいがいのLPはCD化されているし、CD化されてないといえば、よっぽど誰からも見向きもされてないようなアーティストということになります。オレの持っているものなんてたかが中坊・高坊のころのLPコレクションなんで、お宝が埋もれているわけもなく、という感じです。

でもせっかくの機会なんで、一部を紹介してみたいと思います。

まず、オレが一番最初に買った…というより買ってもらったLPがこれ(1980年11月発売)。中一の誕生日でした。

自分の小遣いで最初に買ったLPが何だったか、正確には覚えていませんが、たぶんこれ(1981年3月発売)。中一の終わり〜中二の最初ごろ。

同じく、かなり初期に買ったのがレインボーの「Difficult To Cure」(写真左。1981年1月発売)。レインボーは中学時代、はまりました。

↓これも思い出深いです(1982年発売)。

↓あまり見かけない、コージー・パウエルのソロアルバム2作目(1981)。ジェフ・ベックゲイリー・ムーアが参加。音楽的にはジェフ・ベックの「Wired」+「There And Back」+ボーカルという感じで今も昔もけっこう好き。

↓マイケル・シェンカー・グループのセカンド(1981)のアメリカ盤。そっけないジャケだけど、今のCDのダサいメンバー写真のジャケより良いと思う。

↓一時期、レベッカにはまってました。下はファースト・ミニアルバム(右。1984)とセカンド・ミニアルバム(左。1984)。レベッカは「フレンズ」のブレイクの前、ギターの木暮武彦がリーダーだったころの音楽性が好きだった。

↓あと、恥ずかしい過去ですが、一時期武田久美子にはまってました(左)。といってもグラビア・セクシーアイドルとしてブレイクする前。はまったといってもアルバム2枚、シングル5枚しか出してないけど。右は工藤静香のファースト。これは大学時代に買いました。しかし、ジャケにひかれて買っただけで、内容は特に好きでもなく、はまることもありませんでした。

オレは浪人時代にザッパにはまったんですが、最初に聴いたのはレンタルで借りた「Them Or Us」(1984)だったと思うのですが、記憶が正しければ最初に買ったのが、大阪の緑地公園にあった駿台予備校のそばの小さなレコード屋で二束三文で叩き売られていた下のアルバム。

今も昔も全然好きじゃないアルバムです。

ザッパ関係では、浪人時代に「Hot Rats」(1969)を良く聴いていました。でも当時は「Hot Rats」がボックスセット(Old Masters Box)でしか再発されておらず、そんなの買えないので、わけもわからず廉価な海賊版を買ったりしていました。それがこれ。といっても、写真では普通の「Hot Rats」と変わりませんが。大学生になってから、「Old Masters Box」を買い、その後CDでも買い直しました。名盤です。

ザッパ関係で悔しい思いをしたのは、例えば、「Broadway The Hardway」(1988)は、最初LPで出たときは、シングルアルバムで9曲入りだったんです。

ところが、数ヶ月後に、19曲入りバージョンのCDが出て、騙されたと思いました(-_- )。

曲目でわけがわからないのは、LP版の「London Symphony Orchestra vol. 1」。なんでこういう選曲なんだろう。

下は「200モーテルズ」のダブル・ジャケット、ブックレット付き。


ポスターもついているんです。

もっとも、「200モーテルズ」自体それほど人気のある作品じゃないので希少って感じでもないですが。しかもカット盤だし。

実家の自分のLPをみて驚いたのは、ザッパのブートレグをけっこう持っていたこと。しょせんブートレグなんで音が悪く、あまり聴いてなかったので持っていることを忘れたのかも。中には良いものもあって、まあ、良いものは「ビート・ザ・ブート」シリーズとして、ザッパ本人がオフィシャル発売したりしていましたが。↓下のブートレグは10枚組ボックスセット。

ザッパはこのへんにしておいて。大学入った頃はバンドブーム、そして、インディーズブームでしたね。下は、当時アンダーグラウンド雑誌だった「Fool's Mate」の創始者、北村昌士のバンド、YBO2(イボイボ)のライブ盤。

だから何? と言われると返す言葉はございませんが。

↓シールになっているバナナをはがそうとして失敗してちぎれた悲しいアルバム。

↓マイナーなニューヨークのメタルバンド。ドラマーのCarl Canedy(ジャケ左端)は、アンスラックスの最初の2枚のアルバムをプロデュースしたことで知られています。

↓これは親父のレコードで、レオン・ラッセル&マーク・ベノのファーストアルバム。希少だけど、誰も求めてないLPでもあります。ちなみに大学時代、レオン・ラッセルはけっこうはまりました。

↓これも希少だけど、誰も欲してないLP。デイヴィッド・カヴァーデイルディープ・パープル脱退後、ホワイトスネイク結成前に出したソロアルバム。ブルージーでゴスペルっぽいアルバムで、けっこうおもしろい。

ポスト・パンクも聴いてましたよ。大学生になってから聴いたバウハウスのセカンド。名盤。

他、持っていたことを忘れていたアルバムとしては、トーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」とか、クリムゾンのファーストとか。で、趣味が広がって行ったころにはCDへ移行したので、オレのLPコレクションは実に偏った内容となっているわけです。

ちなみに、89年〜90年ごろからは、クラブ音楽にオレの関心が移るんですが、そのころはすでにCDに完全に移行していまして、もしあのときまだレコードに留まっていたら、鬼のように12インチシングルを集めようとした…かもしれませんね。危ない危ない。いや、ちょっと残念なような気も…。

以上、思い出話でした。