70年代のマーヴィン・ゲイについて(→<a href="/ghostlawns/searchdiary?word=%2a%5bGaye%2c%20Marvin%20%2f%20intro%5d">解説Top</a>)

Marvin Gaye in the 70s

70年代のマーヴィン・ゲイ

【1970年代】


タミーの死はマーヴィンにとって決定的な暗転でありました。もともとプライベートの生活もうまくいっておらず、音楽の方向性にも疑問があったマーヴィンにとって、一種の清涼剤であったタミー・テレルの存在。それが虚しくも消え去り、マーヴィンはあまりのショックに対人関係に支障が出、また音楽活動引退を決心したともいわれます。しかし、友人の助けや助言でパーソナルな曲を録音することになり、それがかの「What's Going On」となりました。革命的な構造をもったこの曲は、その斬新さゆえモータウン社長ベリー・ゴーディーには理解されず、「こんなものが売れるか!」と反対されるのが、それをおしきって発売されます。ゴーディーの予想に反しこの曲は大ヒット。ゴーディーがモータウンで築き上げた「ヒット曲製造工場」のシステムが崩れた瞬間です。

「What's Going On」はアルバムへ発展します。このアルバムではマーヴィンがはじめてセルフ・プロデュースし、全曲の作詞作曲、編曲にかかわりました。しかしそれにしても、その直前までシンガーに徹していた男がこれだけのものをいきなり造り出せるものなのか? 凡人には信じられない規模の才能の開花であります。その音楽的豊かさと斬新さには嘆息するしかありません。

では具体的にこのアルバムをはじめとする70年代のマーヴィンはどういう点で革命的だったのでしょうか。

まず、第一に、曲のコード進行。シンプルなペンタトニック3コード中心にシンプルで印象深いメロディーをのせるのがモータウンの美学でしたが、「What's Going On」では、ジャズやポピュラーの要素を大幅に取り入れた複雑なコード進行が中心です。マーヴィンはナット・キング・コールなどのポピュラーにも傾倒していたのですが、その影響が(60年代の試行錯誤を経て)ついにR&B/ソウルに奇跡的なまでに融合して新しい領域が生み出されたといえます。その究極の例が「Save The Children」じゃないかと思います。この曲は限り無くポピュラー・スタンダードに近い雰囲気をもっているんだけど、それでいて自作曲であり、また、自問自答のような、つぶやきと歌の掛け合いという新しい形式になっています。あと、コード進行的が複雑になったことで天才ベーシスト、ジェイミー・ジェイマーソンの演奏が開花しているのも素晴らしい。ジェイマーソンはモータウンで仕事をする前はもともとジャズ系のアップライト・ベーシストだったそうで、こういうジャズ的展開はお手のものだったのでしょうが、今回はもちろん純粋なジャズではなくてファンキーなR&Bなので、結果、ジャズファンク、アシッドジャズ的な演奏となっています。しかも半端なテクではないので超かっこいい。「What's Going On」はもちろんですが、次の「What's Happening Brother」でのジェイマーソンのベースのうねりとフレージングはカッコいい!の一言。

第二に、楽曲の構成も黒人音楽の流れをみると、非常に斬新でありました。一番、二番、三番といった従来の定型を大きく逸脱した曲がいくつも登場しています。曲をノンストップでつなげるというのも、ロックではすでにあったものの、ソウルの世界では斬新な試みだったのではないでしょうか。

第三に、ベース演奏の素晴らしさは上述しましたが、全体的にも演奏が非常に新しいものでした。60年代のシンプルなR&B的バンド演奏から、ストリングスなどをまじえたものへ。また、リズム・セクションの演奏はよりジャズ度、ファンク度を増し、特にパーカッションの扱いに新しさが見られます。マーヴィンはデビュー前はドラマーとしてミラクルズのバックで叩いたりしていたらしいのですが、それもあるのでしょうか、非常にパーカッションが強調されたアレンジとなっており、複雑さを増しています。このあたりはギャンブル&ハフのフィラデルフィア・ソウルの流れにも影響を与えたのではないかと思います。

第四に、音処理。これは、パーカッシヴ志向とも関係のあるのですが、リズムの音処理が独特なんですよね。具体的に言えば、ドラムのスネアの音に深いリバーブやイフェクトがかけられて変形させられています。これは、ドラム・セット対パーカッションという図式を打ち崩して、ドラム・セットもパーカッションの一部に取り込んでしまう試みだったといえるかもしれません。スタジオ録音と言う意味で「実験的」な初の黒人音楽アルバムだったのではないかと思います。

もちろん、メッセージ性も忘れるわけにはいきません。マーヴィン・ゲイが社会的なメッセージを歌ったのは実はアルバム「ワッツ・ゴーイン・オン」だけなのですが、このアルバムの成功が黒人ミュージシャンの「自立」を後押ししたのは否定できません。つまり、レコード会社に与えられたあたりさわりのない歌詞でなく、自己の主張をこめたメッセージを黒人音楽家が主張しやすくする、そういった土台をつくったといえます。また、上にもあげたフィラデルフィア・ソウルの精神性の源流にもなっています。

結局、マーヴィン・ゲイが開いた扉(もちろん、マーヴィンが全てをお膳立てしたわけではありませんが、もっともわかりやすいきっかけとなったのは確かでしょう)は、70年代前半に「ニューソウル」というムーブメントなって結実し、レーベル・メイトのスティービー・ワンダー、それからカーティス・メイフィールドダニー・ハザウェイといういわゆる「四天王」の黄金時代となります。

興味深いことに、こういった「ミュージシャンの独立性」を押し出す動きは黒人音楽ではめずらしく、ニューソウルが70年代半ばに衰退すると、黒人音楽はまたいつも通りの「裏方」と「歌手」が分離する芸能界的システムに戻り、現在にいたります。もちろん、ヒップホップはまた少し違うし、ソウル/R&Bでも今日まで散発的に「自立系シンガー」が登場していますが、全体的にはプロデューサー/作曲家チームが曲を用意し、シンガーはそれを歌うというシステムが貫かれています。そういう意味で、マーヴィンがひきいたニューソウル・ムーブメントは黒人音楽史を大局的にみれば徒花的な動きであったといえるのかもしれません。しかし、マーヴィンらが築いた精神性は現在の黒人音楽界の中でもどこかしら息づいているような気がします。

というわけで興味のつきないマーヴィン・ゲイの70年代です。

(初稿 11/5/96; 最終改訂 5/30/02)