80年代のマーヴィン・ゲイについて(→<a href="/ghostlawns/searchdiary?word=%2a%5bGaye%2c%20Marvin%20%2f%20intro%5d">解説Top</a>)

Marvin Gaye in the 80s

80年代のマーヴィン・ゲイ

【1980年代】


「Here My Dear」で業界を追われたマーヴィンはヨーロッパで隠とん中に録音した「Sexual Healing」で1982年に見事復帰、グラミー賞まで取ります。しかし、この「Sexual Healing」および収録アルバム「Midnight Lady」は、マーヴィンの復帰作ということにとどまりません。同時に、80年代以降のブラック・コンテンポラリー・ミュージックの新しい可能性を示唆した作品でもあるのです。

このアルバムは、マーヴィンの自主制作録音に少々音を加えただけのものなのですが、予算の少ない自主制作だけにフル・バンドはやとえず、リズムマシンが大幅に使われました。このアルバムを聴いてもらえればわかりますが、大部分はリズムマシンとマーヴィンのキーボード、そして相方のゴードン・バンクスのギターだけで演奏されています。正直、少々しょぼい音なのは否めません。しかし、しょぼさを逆手にとって新しい音をつくりだしたのがマーヴィンの非凡なところです。以前からマーヴィンのパーカッション解釈には独特のものがあったが、ここでも独特な使い方をしており、特に「Sexual Healing」のチャカポコしたリズムは、従来のドラムセットをベースにしたリズムから逸脱しているという意味で新しかった。もちろんスライなんかはすでにそういう方向性を示唆していたのですが、そのAOR的展開がマーヴィンの新しいポイントでした。クワイエット・ストーム系の80年代以降のブラックコンテンポラリー音楽に与えた影響ははかり知れません。また、このアルバムは、アイズリー・ブラザーズにも影響をあたえ、かの「ビトゥイーン・ザ・シーツ」が生まれました。そのサンプリングがさらにめぐって90年代の一種のトレンドになったことを考えても、とてもそのルーツとしても意義深い作品だったのだなあ、と思います。

ちなみに、当時のマーヴィンはキャリア的には20年選手。そんな超ベテランがなお新しいものをうみだせたという事実には本当に感心してしまいます。

(初稿 11/5/96; 最終改訂 4/10/2002)