フランク・ザッパ:テリー・ボジオ期について(→<a href="/ghostlawns/searchdiary?word=%2a%5bZappa%2c%20Frank%20%2f%20intro%5d" >Zappa Top</a>)

Frank Zappa: (5) The Terry Bozzio Era

(1975-1979 by the album release years)

【猥雑のカオスへ!】


さて、「ルース・マザーズ」解散後の新生マザーズですが、この時期は、ザッパ唯一の来日公演をはたしたということもあって、日本で人気の高い時期。しかし、フロ&エディーとの笑劇ロック、インスト中心のジャズ・ロック、ボーカル・ロックに徹してアルバム・セールスもよかったルース期前半、息の合ったメンバーで究極のアンサンブルを聴かせたルース期後半など、非常に充実していた70年代前半と比べ、この70年代後半というのは、ザッパにとってはあまり良い時代ではなく、苦難の連続でした。

なんといっても、まず、バンドのメンバーが集まらない。新人の天才ドラマー、テリー・ボジオを発掘したのはよかったが、その他のメンバーがなかなか固定しない。この時期最初のアルバムである「Bongo Fury」(1975)では、ボジオ以外は旧メンバー(除ルース)が固めていますが、すぐに全員が抜けます。次の「Zoot Allures」は、結局、ほとんどザッパとボジオの二人だけの録音となります。旧友のロイ・エストラーダ(b)やルース・アンダーウッドが一部の曲でヘルプしている以外はザッパがギターだけでなくベースからキーボードまで一人でオーバーダビングしたわけです。時代はディスコ時代の初期であり、「ディスコ・ボーイ」という曲でディスコ文化を皮肉るも大勢に影響はなく。ザッパはセールス的にも苦しかったと思われます。そして、次に、ザッパは過去と現在のスタジオ音源やライブ音源をいっしょくたにした「レザー」という4枚組大作の製作に入るのですが、レコード会社(ワーナー)が猛反対。結局ザッパの許可なく4枚を勝手に再編成してバラ売りし始め、また美少年ハードロックバンドだったAngelというバンドのギタリスト、パンキー・メドウズをおちょくった「Punky's Whip」をアルバムから削除するにいたって、ザッパは激怒、抗議として、FM番組で「録音の準備はいいかい?」と、「レザー」の全曲を放送したりしました。ちなみに、下の写真がAngel。

しかしある意味、この事件が起爆剤となり、ザッパの破壊的なまでの創造活動が始まります。とにかくメジャーレーベルの契約下にあってはロクなことにならないと、自分自身でインディー・レコード会社を設立(ザッパ・レコーズ〜バーキング・パンプキン)、また、セッション・ミュージシャンによらない、無名だがマザーズ/ザッパ・バンド史上でも一二を争う最強ミュージシャンを集め、「ベイビー・スネイクス」ツアーを敢行、ワーナーが勝手に「レザー」をバラ売りしている間にも、ツアーを収めた映画「ベイビー・スネイクス」を製作発表、同じツアーを元にザッパ最高傑作のひとつ「シーク・ヤブーティ」(1979)を自分のレコード会社から発表します。現在もビデオで観れるこの「ベイビー・スネイクス」ツアーは、ザッパの下ネタが怒りとともに爆発した壮大なエンタテイメントであり、かつ実験性とユーモアに満ち満ちた一大絵巻でありました。テリー・ボジオの暴走ぶりもすごかった。

ボジオ期は残念ながら、この「シーク・ヤブーティ」で終わりますが、時期的には79年から始まる「80年代ザッパ・バンド」の基礎、いやほとんどすべてはこの「ベイビー・スネイクス」ツアーで確立したと言って良いでしょう。そんな時期。

【おもなメンバー】


この時期は、前期はメンバーが流動的で、後期になるにつれて固定していきます。ルース・アンダーウッドが全作に参加している他では、タートル・マザーズからの付き合いのジョージ・デューク(key,vo)がアレンジなどの面でザッパの右腕的存在でした。

  • ドラム‥‥テリー・ボジオ(Terry Bozio: 全作)。異常に難易度の高いオーディションをただ一人合格したというバカテクドラマー。当時無名若手。日本では、ザッパの歴代ドラマーではこの人の人気が非常に高い。ぼくはそれほどボジオは大好きではないけど。アナーキーなキャラクターとは裏腹に、ボジオは元々は完全にジャズ/フュージョン畑のドラマーだったんですが(「フランクとツアーしているうちにだんだんロック・コンサートのよさを理解できるようになった」とインタビューで述懐してました)、そのせいか、ボジオのロック的定型8ビートはもうひとつカッコよくない。一方、ジャズ・フュージョン的にポリリズミックな4ビートのインプロヴィゼーションをやらせるとめちゃめちゃスゴいんだよね。同じフュージョン畑のチェスターがあくまで大人のプレイだったのに対し、ボジオはいわば「ガキ大将」的暴れぶり。とにかくこのひとのスゴさをまのあたりにしたいひとは是非ビデオ「Baby Snakes」(「Sheik Yerbouti」のころのライヴ)をチェックしてください。黒のビキニの海パン一丁、つまりほとんど全裸のかっこで鬼のように異常にスゴいスティックさばきはみせるわ、わめくわ、どなるわ、汗はとばすわ、唾をはきまくるわ、ほんまにこいつというやつは‥。
  • ベース‥‥この時期の正ベーシストといえば、当時無名だったパトリック・オハーン(Patrick O'Hearn: #23以降)。のちにボジオとミッシング・パーソンズを結成、解散後はニューエイジの世界に行ってしまった人。ザッパ歴代ベーシストで唯一のフレットレス・ベース使い。テクも個性もある良いベーシストでした。当時かなり若かったんじゃないかなぁ。
  • キーボード‥‥ライブ盤「イン・ニューヨーク」のころ、プログレ畑の人でのちにボジオと「UK」としても活動するエディ・ジョブソン(Eddie Jobson: #23, 24, 63)が参加しています。やはりザッパ歴代キーボード・プレイヤーのなかで圧倒的にプログレ臭い。のち、70年代後半から80年代のザッパのサウンドでわすれられない名変態キーボード・プレイヤー、トミー・マーズ(Tommy Mars: #26, 37)が参加。このひとの独特のブラス・シンセはとても個性的かつパワフルでした。素頓狂なヴォーカルパフォーマンスや変態ぶりはビデオ「Baby Snakes」でもばっちり見ることができます。テクもあるし良いプレイヤーでした。サポート・キーボード・プレイヤーとして、ピーター・ウルフ(Peter Wolf: #26, 37)というひとも参加してますが、もちろんJガイルズのひととは別人です。
  • ギター‥‥「Baby Snakes」ツアーに、かのエイドリアン・ブリュー(Adrian Blew: #26, 37)が参加しています。アルバム「Sheik Yerbouti」では、ギター自体はあまりフィーチャーされていませんが(ザッパ・バンドのギタリストはアルバムではめったにフィーチャーされない・・)、ライブでは独特のギターをきかせていたようです。また、エイドリアンはヴォーカルでの貢献が大きかった。のちエイドリアンは、ザッパのショーに来ていたデイヴィッド・ボウイに引き抜かれ、こんどはボウイと親交のあったロバート・フリップに引き抜かれてキング・クリムゾンに参加するのはご存じのとおり。また、「イン・ニューヨーク」には、80年代ザッパバンドの常連さん、レイ・ホワイト(Ray White: #23, 63)がはじめて参加してます。
  • ホーン‥‥「イン・ニューヨーク」には助人的にフュージョン畑のブレッカー・ブラザーズBrecker Brothers: #23, 63)が参加していますが、それ以外の時期はホーン無しでした。
  • パーカッション‥‥80年代にわたって断続的にザッパ・バンドにかかわったエド・マン(Ed Mann: #23以降)が「イン・ニューヨーク」から参加しています。ルース・アンダーウッドほどの個性はありませんが、出すぎない好サポートをみせ、ザッパの信認も厚かったようです。
  • ヴォーカル‥‥この時期はヴォーカル専門のひとはいませんでしたが、個性的な面々がかわるがわる個性的なヴォーカルを聴かせてくれます。主力選手はザッパの他では、テリー・ボジオエイドリアン・ブリューといったところでしょうか。80年代ザッパ・バンドの常連、レイ・ホワイトも「イン・ニューヨーク」でリードヴォーカルをきかせています。
  • その他‥‥「ボンゴ・フューリー」では、ザッパの高校時代の同級生だった鬼才/奇才キャプテン・ビーフハートCaptain Beefheart: #21)がアルバム一枚まるごと共演しています。

(初稿:10/7/1996、大幅に改訂:7/22/2003、最終改訂:10/28/2006)