Tanto Tempo ★★★★

Tanto Tempo

Bebel Gilberto / Tanto Tempo

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アントニオ・カルロス・ジョビンとともにボサ・ノヴァという革命的音楽を生み出したジョアン・ジルベルトの、1950年代末から60年代初めの素晴らしさというのは筆舌に尽くしがたく、あらゆる世代の音楽の最高のもののひとつであることは間違いはありません。本作は、そのジョアンの娘であるベベウ・ジルベルトのソロ・デビュー作(少なくともアメリカでの)。ぼくの少ないブラジル音楽の知識は、カエターノ、Gジル周辺のトロピカリア人脈とその派生であるマリーザ・モンチ(やアート・リンゼイ)などの周辺に限られているので、このベベウ・ジルベルトの参加ミュージシャンや制作陣の名前は見事に知らないひとばかり(プロデュースはSubaという人)。ここで聴ける音は、ひとことでいえば「地味」なのですが、しかしその音のアコースティックな響きの裏には、クラブ音楽的感性が息づいており、その意味で例えばマリーザ・モンチなどのアプローチより、さらに新世代の音だと言えるでしょう。

しかし、そういった「クラブ音楽的感覚」と対照的に、非常にボサ・ノヴァ復古的な内容でもあります。ぼくは、クラブ音楽やらフレンチ・ポップスやらがボサ・ノヴァ的フレイバーを「オサレだから」というような理由で安直に流用するのは嫌いなのですが、この作品はそういう表層的なところに留まっていません。それは、なによりも、べベウの歌の素晴らしさに起因するもののように思われます。ベベウの歌手としての才能は、ボサ・ジャズの流れで成功はしたものの歌手としてはとるにたらなかった母アストルド・ジルベルトとは比べ物にならないです(追記:ベベルのお母さんはアストルード・ジルベルトじゃなくて、後妻のミウーチャでした。訂正します)。とにかく声の存在感がある。べベウは、テイ・トウワの「Future Listening!」(1995)などでもフィーチャーされていますが、このアルバムでのベベウの表現力の深さはその当時の比ではないです。

全体的にダウナーな音であり、前述したように派手さが全然ないのですが、今こうしてヘッドフォンで聴きなおしてみても、バックの何げない音にも非常に深みのある凝った仕掛けがあり、聴きなおす度に新たな発見があります。ある意味おそるべき作品。 (10/7/00, 18:48:25 (JST))