アート・リンゼイについて

f:id:ghostlawns:20060618020158j:image

Arto Lindsay

genre: pop/rock/avant-garde/brazil

【概観】


NYの中のブラジル…アート・リンゼイの存在感を一言で説明するとしたらそう表現するのが一番ぴったりくるでしょう。

リンゼイはノイズ系ミュージシャンとして出発しました。彼は実際にギターのチューニングの仕方もしらないままギターをかきならしていました。リンゼイが中心となったDNAはギター、キーボード、ドラムのトリオでしたが、ドラマーのイクエ・モリもDNAで初めてドラムに触れたのだといいます。DNAなどが中心となった70年代終わりのNYの一部のポスト・パンク・シーンは、ニュー・ウェーブに対して「ノー・ウェーブ」とも呼ばれたりしましたが、パンクが「ヘタクソなロックンロール」だとしたらノー・ウェーブは「テクニックという概念がないロックンロール」でありました。技術を排したところに情動のみをほとばしらせる、そう、リンゼイはそういうところから出発したと言えます。

リンゼイにはしかしもうひとつの顔があります。その視線は子供時代をすごした地、ブラジルを向いているのです。そこを見るときのリンゼイは驚くほどメロウです。決してうまいというシンガーではありませんが、甘い声の存在感、そして抽象的な詩の魅力で聴く者を強くひきつけます。リンゼイの素晴らしいところは、アバンギャルドな側面(ニューヨーク)とメロウな側面(ブラジル)が無理なく同居しているところにあります。

【活動】


DNAが短期間で解散したあと、リンゼイはNYの前衛ジャズやクロスオーバー系の流れに合流します。以来、リンゼイのこのあたりの人脈は非常に豊かで、結果、リンゼイのアルバム・クレジットは「知る人ぞ知る的に豪華なゲストミュージシャン」の宝庫となります。

アントン・フィアのゴールデン・パロミノスや、ジョン・ルーリーのラウンジ・リザーズに参加したことでも知られるリンゼイですが、80年代前半にソロ・プロジェクト「アンビシャス・ラバーズ」を始動、これがリンゼイにとってのDNA以来の節目となります。その第一弾アルバムは実験的で「DNA後」の活動を彷彿させるものでありましたが、初めてはっきりとブラジル志向の表出が見られることは注目に値します。

その後、不定形ユニットだった「アンビシャス・ラバーズ」はキーボード奏者であるピーター・シェラーとのデュオとなり、音楽性も驚くほどポップに変化、リンゼイは「前衛ミュージシャン」という画一的なレッテルを脱しました。Aラバーズの音楽性はひとことでいえば「シンセ・ポップ・ファンク」で、今聴くと派手なシンセのサンプリング音が少々時代を感じさせますが、曲の良さと、ほどよい実験性の絶妙な兼ね合いは、非常に知的で心地よい刺激を聴くものにあたえてくれました。もちろんブラジルへの視点もあり、「シンセ・ファンクなのにブラジルっぽい」という言葉にすると不思議なことをいとも簡単に実現していました。また、「前衛」という冠を脱いだリンゼイがメロウな感性を育んだのもこの時期だといえるでしょう。また、ポップスという枠の中で、逆にリンゼイの表現に細やかさが増しました。

90年代始めにAラバーズは自然消滅。リンゼイは40歳をすぎて純粋なソロ活動をすすめます。これが第三の節目。リンゼイのソロ作品を順番に聴くと、リンゼイの表現の模索する道がたどれておもしろい。音楽的にはブラジルを強く志向しているのですが、ソロ活動の初期作品では意識的に自分の中のノイズ的側面を抑えています。ノイズや前衛性の隠れみのなしでどこまで表現できるかという意識だったのでしょう。その後の作品で、徐々にノイズ性、実験性がメロウな音楽の中に自然に溶け込んで行くことになり、より成熟していきます。

(初稿 9/26/00; 最終改訂 5/20/02)